夢とか未来を僕にくれないか?

飛鳥ちゃん、わたしは飛鳥ちゃんの卒業について語れるほどあなたのすべてを見てきたわけじゃないと、どこか後ろめたい気持ちがあったのだけれど、今日の生配信を観たらそんな気持ちが飛んでいったので書くね。


わたしがあなたを好きになったのは、あなたがたくさんの密着番組に追われていた頃だったと思う。空いた時間さえあればすぐ壁にもたれかかっている姿、雑貨屋さんで物を選ぶの撮影されているのを嫌がる姿、握手会で「かわいいことはしない」と言い切る姿、撮影の小道具として用意されていた本をプレゼントされ喜ぶ姿、「泣いていいんだよ〜泣かなきゃ、いつも笑っているお仕事は大変」と声をかけられて涙をこぼす姿。わたしのなかの"齋藤飛鳥"が形成されていったのは、これらの密着番組での姿が大きかったように思う。飛鳥ちゃんのいう"殻を作って閉じこもっていた時期"が、こういう姿を見せていた時期を指すのか分からないけれど、わたしはそんなあなただからこそ惹かれたし、好きになった。

 

さて、飛鳥ちゃんの卒業シングルとなる新曲の話をする。初披露を終えて高揚したまま書き殴っているから、披露回数を重ねていくとまた違う見え方になるかもしれないけれど、今感じたことを残しておくね。

冒頭の「僕は やっとホッとして 着ていた鎧を脱ぐ」の"僕"が飛鳥ちゃんとするなら、サビの「夢とか未来を僕にくれないか?」も飛鳥ちゃんの言葉になる。ファンからアイドルへ向けた言葉ではなく、アイドルからファンに向けた言葉だと考えれば考えるほどに胸がぎゅーっとする。同じ夢もお揃いの未来もいつまでも永遠に見られないことはアイドルもファンも分かっているのだけれど、どうしてもどうしたってお互いの思い描く夢や未来がいつまでも一緒であることを願ってしまう。オタクのエゴだとなんと言われようと、お互いに同じ夢を追いかけてお揃いの未来を見ていると信じたくなる。ぴったり重なったまま決して揺らぐことのない、崩れることのない夢や未来なんてないことを何回も突きつけられているのに、それでも何回も何十回も願い、祈ってしまう。そんな葛藤や迷いのなかで「夢とか未来を僕にくれないか?」とアイドルが放つ強引さが、わたしには刺さって抜けなくてぼろぼろと泣いてしまった。

 

アイドルとファンの関係性や距離感について考えない日はない。だけれど、わたしはアイドルとファン特有の距離感が好きで、アイドルから受け取るキラキラが大好きで、一日でも長くこの日々が続くよう、そしていつまでも同じ夢やお揃いの未来を見ていたいと願ってしまう。