夜中2時

ツイートできないことだらけ。大切な誰かを守るために自分の気持ちを隠している人がいるって知ってるのに、全部話してしまうわたしでごめんなさい。

 

12月のドーム公演の後、ツイートしようと思いつつ呟けなくて下書きにしまったままの言葉がある。

自分にとって都合の良い解釈を並べて切り取ってぺたぺたと貼る行為は楽しさも危うさもあるけど、Sexy Zoneはわたしというフィルターを外しても、わたしの思うSexy Zoneでいてくれる救いがある

アイドルは嘘つきだと言われがちだけど、Sexy Zoneは嘘つきなんかじゃない

 

「わたし」というフィルターを外してもSexy ZoneSexy Zoneでいてくれる、嘘つきなんかじゃない。わたしの思うセクシーたちはそういうひとたちだった。これもわたしのフィルターをかけまくった理想でしかないんだけど、でもただの空想でも手の届かない理想でもなく、ちゃんと"本物"にしてくれるひとたちだった。

どれだけ大きくなってもどれだけ遠くなっても、変わったのは物理的な距離とファンの数くらいで、あの頃と変わらないままいてくれるって、そう疑わずにいた。遠くに行ってしまった寂しさを感じてもやっぱり変わらないじゃんって笑い飛ばせる安心感がすごくすごく嬉しかった。グループ外の仕事がどれだけ増えたってグループにいるときが一番だな〜〜って思える瞬間がたまらなく嬉しかった。どれだけ周りの環境が目まぐるしく変わっていったって、グループ内で変わっていくものがどれだけあったって、5人とわたしの想いは変わらないんだなって本気で思ってた。そうやって過信しすぎたかな。

 

あの日から少しずつ、少しずつわたしの好きな「セクシーたち」が崩れていっている気がする。何年もかけてぺたぺたと切り貼りして、わたしの思うセクシーたちらしさを形成してきたものがただの紙切れのようになった気持ち。日を追うごとに一枚一枚剥がれていってしまっているような感覚。わたしの想いはただの紙切れじゃないって、わたしが一番知ってたはずなのに。わたしのセクシーたちへの想いはそんな薄っぺらいものでも、軽いものでもないってわたしが一番わかってるのに。どうして。

 

わたしはセクシーたちと小さい目標も大きな夢も全部お揃いだと思ってたんだよ。定期的なグループ仕事だって簡単にいかないことは十分に理解してたけど、でもいつかできたらいいなって期待してた。個人仕事もグループに還元するという意識が根底にあるものだと思ってたから、寂しくても苦しくても応援できたよ。グループから離れることが必ずしもグループを愛していないことを指すものではないと頭ではわかっているけれど、グループを愛してるなら離れないでよって思ってしまってごめん。グループを愛してるなら、せめて、どうか、って縋るようなわたしでごめん。

 

いつからSexy ZoneSexy Zoneではなくなっていたんだろう。いつから別々の方向を向いてたのって、そんなの今さら知ってもしょうがないんだけどさあ。ずっとお揃いの夢や未来を見てるって信じきってたのに、実は違いましたなんて信じたくないよ。わたしというフィルターがなくてもSexy ZoneSexy Zoneでいてくれるって、Sexy Zoneは嘘つきじゃないって信じたかった。今はSexy Zoneが宙ぶらりんになっているような感覚で、あの日からずっとSexy Zoneがわからない。